転入当時から今日まで、聡の名が誰の口の端にも上らないなんて日は、一日もない。見た目ももちろん、誰とでも気さくに会話する性格から、人気はまさにウナギ上り。当然ファンクラブなんてものまで創設され、故に聡の行く先には常に女子生徒が出現する。
もう一つの条件。それは、それらの女子生徒をこの建物に近寄らせないこと。中に入れるなど言語道断。
聡は三人のところまで歩み寄り、身振り手振りを交えて説得しているようだ。だが相手もそう簡単には引き下がらない。ときおり建物の中、美鶴へ鋭い視線を投げながら、逆に聡を説得している。
彼女達にとって、美鶴が気に入らないのは当然。なにせ聡は、全校生徒の前で美鶴に告白した経緯がある。美鶴がその想いを受け入れていないとはいえ、憧れる男子生徒が他の女子生徒へ想いを寄せている姿など、認めたくもない。
まして、美鶴はそもそも学校中の嫌われ者。成績を鼻にかけ、誰とも馴染まず、態度は傲慢。聡ファンならずとも眉を潜める。そんな校内の嫌われ者に想いを寄せ、毎日その元へ通う聡の姿など、見ているだけで、いや想像するだけで腸の煮えくり返る思い。
だが、その怒りの矛先を向けられた美鶴にしてみれば、それはただの迷惑でしかない。今日の帰りも、校門までの道のりがまた長い。
「大迫さんのような方でしたら、他にお似合いの男性もおありでしょう?」
まるでセリフのような敬語に、暖か味は感じられない。一年生らしいが、その態度には美鶴を上級生として敬う姿勢など、微塵も感じられない。
「そもそも、大迫さんが態度をはっきりさせないから、金本先輩が惑うのですわ」
誰が誰を惑わせてるっつーんだよっ 人を魔性の女にするなっ!
スタスタと校庭を横切るその腕に、白い手が絡んでくる。
あまりに白い手。そして細い指。
きっと、何の不自由もなく丁寧に育てられた身体の一部なのだろう。振り払えばもげてしまいそうで、思わず躊躇ってしまった。それがマズかった。
口元を緩める相手。
逃がさないわよ
そう言いた気な視線に舌を打つ。
スキを見て逃げなければ、明日の朝まで帰してはくれないだろう。
いや、ここで朝を迎えれば、帰る必要もないのか?
こういう時、頭はヘンなところだけ回転する。
「この際ですから、はっきりさせてくださいません? もう金本先輩とは言葉を交わさないと」
「はぁ? 声かけてくんのはあっちでしょ。それを言うならあっちに言えば」
「――――あっちとはっ!」
相手の女子生徒は美鶴の言葉に双眸を見開き、ワナワナと頬を振るわせる。
「金本先輩をあっちなどと… 失礼にも……ほどがありますわっ!」
あー はいはい
「まったく、これだから礼儀をわきまえない庶民は困りますのよ」
――――っ!
思わず睨み返す美鶴の視線を、バカにしたような半眼で見返す。
「学費を出すのも大変なのでしょう? いっそ転校されてはいかがです? 何も家計を圧迫してまで通うこともないでしょう?」
美鶴が片親で下町のアパート暮らしだというのはよく知られている。母親が水商売人だということも。
唐渓高校は、県下でも特に良家の子女が通う名門私立高校。入学の際に家柄などを問うことはしないが、公立高校と比べてあまりに高い学費を三年間払い続けるのは、一般庶民ですら楽ではない。まして美鶴のような家庭環境では、一年通うのがやっと。
ここはお前のような貧乏人が来るところではない。
相手は、美鶴を上級生として敬うどころか、同じ高校に通うことを不快にすら感じているのだろう。視線に侮蔑の色が浮かぶのを見て、顔が熱くなるのを感じた。
「お話中のところ失礼ですが」
それはまるで、ピシッと凍りついた湖面を無遠慮に傷つける小さな投石。覇気は無くとも凛とした声。躊躇せず割って入ってきた第三者へ、二人とも同時に視線を向ける。
「校庭の真ん中でいがみ合うのは、他の生徒に迷惑ですわ。ほら、もうすぐサッカー部の練習が始まりますわよ」
身の丈は美鶴より低く、手に持つ学校指定の鞄はまだ新しい。この生徒も一年生だろう。だが幼さを感じさせないまっすぐな姿勢に、二人とも我を取り戻す。
「あなた、先ほど担任の先生がお探しでしたよ」
「えっ?」
「たぶん、あなたのことだと思うのですが… 何か心当たりがありませんこと?」
「さぁ?」
「一度先生に会われてみてはいかがです?」
その言葉に、だが聡ファンは美鶴を見て躊躇する。その態度に、小柄な女子生徒が呟いた。
「こんな方を相手にしていたせいで先生をお待たせするなんて、バカらしいとは思いませんこと?」
なにっ!
だが、そう言われては聡ファンも受け入れないワケにはいかない。
「また後日、お伺い致しますわ」
捨て台詞のように告げ、サッと身を翻して校舎へと戻っていった。
一生来るなっ!
背中へ小さく舌を出し、ふと傍らの小柄な生徒と目が合う。
前髪を左に寄せピンで留め、全体的に毛先は軽く、ゆったりと巻いているミディアムヘアー。いかにもお嬢様といったカンジの出で立ち。二重の、長い睫毛の奥に据えられた瞳は、気の強さを表している。
特に話すこともない。
そう判断してそのまま去ろうとした時
「別に助けたワケではありませんのよ」
誤解しないでいただきたいわ
そう付け足して、少女は美鶴に背を向けた。
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